両極端思考
私は、自分の意思を発言することが苦手だ。
それこそ幼少期から、私の両親は不仲で、気付けば母親は「(私の父親に対して)死ねばいいのに」とずっと呟きながら、料理を作っている人だった。
いきなり私の部屋に入ってきて「お父さんとお母さんが離婚したら、あんたはお父さんの方に行くんだからね」と言われたこともある。
だから、母親に捨てられないように、なるべくちゃんとしようとした。
中学・高校時代に引きこもりになった。高校は中退した。
専門学校には行ったけど、2年目にまた引きこもりになって、中退した。
私が私を出す事を、歓迎されてないと思って生きてきた。
そしたら、私の中には2つの両極端な思考が同時に発生して、板挟みになるようになった。
今で言うなら、私は自分が子宮を持っているのが苦痛だ。出来るなら摘出したい。生物学上メスで居ることに、違和感がある。
しかし、妊娠した。胎児の為の母体になった。
私の「メスで居ることに違和感がある」気持ちを優先するなら、おろしてしまいたい。
でも、相棒は子供が欲しいし、相棒はメスではないから、メスである私がこのまま産むしか、相棒の望みは叶えられない。
ならば、メスで居ることを受け入れるか?と思うと、それはとても苦痛だ。私の意志が蔑ろにされていると感じる。私の望む姿は、私がいくら望んでも、私以外の人間から踏み潰されて当然のように思う。
そして、今からおろすにしても、相棒の同意書が必要である。私一人の意思では、おろすことは許されていない。
(そもそも妊娠したのは、性行為をしたい相棒からの誘いに、私がその気分でない時に拒否を示したら、相棒が暴れたり怒鳴ったりして、その恐怖から拒否を示す事を諦めたからだ)
私一人が悪いのか、と。
私が私の望む姿になる為の努力を、もっと前からしていなかったのが悪いのか、と。
私が私の望む姿を伝えても、それは相棒の望みより軽いものなのか、と。
どうしたらいいのか、どうしていたら正解だったのか、と。
私は、自分の意思を発言することが、そんなに許されていないのか。
妊娠してから、私は相棒に「メスで居ることに違和感がある」ことは、話した。
相棒はエンパスらしい。私の違和感や苦痛が伝わるらしい。伝わった相棒は、私の目の前で怒鳴って暴れて食器を壊した。
私は、目の前で暴れる相棒が怖くて、話すことを諦めた。
もう、私が私の望む姿を望み続ける事が、許されなくて、それがとても悔しくて、辛くなった。
もっと私がちゃんとしていれば。
でも、私だって私の思考があるのに。
疲れました。